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脳腫瘍闘病記④術後~診断

前回から一か月経ちます。この間、父の病状は上がったり下がったり、一喜一憂を繰り返していました。
そして、手術から一か月でようやく病理検査の結果が出て、診断が下されました。それは、私にも家族にも予想だにしなかったものでした。
  

術後一週間からの回復

術後一週間の父は、植物人間のようで、ほとんど反応がありませんでした。
目を開けていても、自発的な発話もなく、排泄もできず、しまいには経管栄養となってしまい、このまま廃人のようにになってしまうのかと大変絶望した覚えがあります。

しかし、ある日突然、父は目覚めました。

始めは、「そろそろ終わりにせなあかんなあ」という一言でした。突然しゃべりだすものですから、とてもびっくりして、何を終わりにするのかと問いかけたりしました。徐々に会話ができるようになり、その内容から父が考えて、話をしていることがわかって、本当にうれしかったです。
術後一週間がまるで嘘のように父は自分を取り戻し、病院食を食べられるようになってからはさらに元気になりました。短期的な記憶はほとんど保持できず、5分前や昨日のできごとはほとんど覚えていられませんでしたが、それでも父が戻ってきて、再び会えたことが、本当にうれしかったのです。
  

回復

回復の兆しが見え始めると、家族の気持ちも上向きになり、このままなんとかなるんじゃないかと淡い期待を抱き始めました。
この頃は既に東京に戻っていたので、直接会うことは中々できませんでしたが、術後2,3週間の頃になると直接電話で話しができ、ついにはLINEにも返信がくるなど、少し前には信じられないことばかりでした。
旦那と共に帰省して、病院の1階のサンマルクに行った時も、パフェやパンを食べて楽しみ、お腹がいっぱいで夜ご飯が食べられなくなってしまうほどでした(本人は食べたことを忘れているので、食べられないことを非常に不思議がっていたようです)。
父は気分の良いときは、家族の気も知らないで冗談ばっかり言って人を笑わせようとしますし(大阪人の性ですね)、車が好きでしたので、会社の定年となる5年後にキャンピングカーを買って母と二人で日本中を旅行したいと、そのことばかり喋っていました。
あまりに父がいつも通りなものですから、本当にそうなるのではないかと、そう思ってしまうくらいでした。
  

診断

その頃は、まだ診断がついていないので、次の治療に進めずただ待機しているだけでした。
早く診断がつかないかなと、首を長くして待っていました。
ようやく先生から連絡があったのは、摘出手術からちょうど一か月後の頃でした。

父にできた腫瘍は卵黄嚢腫(yolk sac tumor)*1。グレード4で非常に悪性度の高い腫瘍です、普通は子どもにできる腫瘍であり、成人男性に卵黄嚢腫ができることは非常に稀で、世界に100人いるかどうかというレベルだそうです。
子どもにできた場合は、5年生存率は3割程度ですが、成人にできた症例がほとんどないため、成人での予後は不明とのことでした。
  
最初から珍しいとは言われていましたが、まさかそこまでの稀な症例だとは思ってもいませんでした。
図書館員の端くれですので、少し調べてみても、確かに症例はほとんど出てきません。学会抄録集のデータベースがウリなのに、学会発表ですら確認できませんでした。
PubMedでMeSHに"intracranial yolk sac tumor"を指定し、adultをALL Fieldにして検索しても、17件しか出てきません。たった、17件*2。それもセルビアや中国など世界端々での僅かな報告です。
  
父は容姿もわりとレアなタイプなのですが、それに輪をかけてそんな珍しい病気を発症するなんて、ある意味すごいなと感心しました。あたるんだったら宝くじがいいよね、と二人で笑ったりしていました。
  

悪化

診断がつき、すぐに化学療法と放射線療法が予定されました。
しかし、診断後、放射線科の予約までの五日間の間に、父の病状はまた悪化していきました。
手術で9割が摘出できたにもかかわらず、MRIでは徐々に腫瘍の成長がみられ、そのせいか、水頭症を再発したそうです。
直接話を伺えていないので、以前ほど腫瘍が大きくなっていないにも拘わらず、なぜ水頭症が再発しているかはわかりません。病状の悪化を受け、放射線療法は延期となりました。

幸い、診断後すぐに化学療法を始めていたため、とりあえずは化学療法による薬の効き目を見ながら放射線療法を検討することとなりました。
父の腫瘍は本当に成長が早くて、一か月で生命が危険になるほどですが、幸い成長が早い腫瘍はその分化学療法の効きも良いといった話もあるようです。
現在は、化学療法の副作用でぐったりとして、辛い様子で過ごしているようです。もちろん、LINEの返信もありませんし、声も聞けません。
  

一喜一憂という言葉がふさわしいくらい、父の病状の変化は激しく、翻弄されてしまいます。
この間、私の中では父のことに関する気持ちの整理がついたのか、毎週大阪に帰ることも止め、以前よりは穏やかに過ごしています。
どんなに悲しんでも、仕事や家庭といった毎日の生活を投げ出すことはできませんし、毎週のように夜行バスで帰省する体力も残念ながらありません。冷たいようですが、きっと多くの人が、そうやって肉親の病状を受け入れていくのかなと思いました。
これからまた一か月、父の様子に一喜一憂する日々が続くのでしょう。気持ちが上がった後に、突き落とされるのは辛いことですが、それでも次の”一喜”がくることを祈って、父の頑張りを信じています。

*1:http://plaza.umin.ac.jp/sawamura/pediattumor/germcelltumors/yolksactumor/

*2:ちなみに、MeSHで"intracranial yolk sac tumor" と"Middle Aged"を指定すると3件に絞られます。しかし、そもそも"intracranial yolk sac tumor"はMeSHタームではありません(!)。Supplementaly Concept Termsにもありません。yolk sac tumor"は"Endodermal Sinus Tumor"で索引されているものの、これを使うと泌尿器系など他部位での腫瘍も含まれてしまいます。MeSHタームにないものを指定して検索したときって、どういうアルゴリズムなのでしょう。

脳腫瘍闘病記③入院中~手術

私は東京で仕事をしていましたが、実家は大阪で、通うことができません。父の容態が予断を許さず、手術まで保つかどうかの可能性もあり、あまりに突然のことだったので、会社にお話ししてしばらくお休みをいただくことになりました。
結果的に約2週間も突然休んでしまい、本当に心から申し訳なくお詫びの気持ちでいっぱいで、それでも送り出してくれた先輩や後輩、上司には感謝してもしきれません。
  
ということで、入院からしばらくは毎日付き添うことができました。家族であっても面会時間のみしか会えず、泊まり込みもできないという厳しい病院でしたが、患者家族の疲弊を思うと結果的には良かった気がします。  
術後翌日に病室を訪れると、術前よりも明らかに父の意識状態は回復していました。はっきりと目も合わせられるし、「おう」と元気よく挨拶もします。帰省後初めて、まともな父を見ました。もう二度と会えないかと思っていた父でした。
昨日の絶望を知っている母と私の気持ちをよそに、父は大阪人の性分を忘れられず、わざと母と私を間違えて呼んだり、左手の人差し指に嵌められた機械で「E.T.~」とかやってきます。あほです。
会社の人がお見舞いに来てくださっても、社長さんに「何か欲しいもんないんか」と聞かれるて、ないな~と言いつつ、「あ、1つありましたわ」「給料上げてください」と冗談をかましていました。
術前からは想像がつかない状態に、脳腫瘍は治るんだと、改めて医学、お医者さんはすごいなあと感動しました。人生に2週目があれば医者になりたいとまで思いました。
最初は車椅子で動いていましたが、調子が良いときは歩行器を使って歩く練習もし、トイレも歩行器で行けるようになりました。尿失禁は術後にはみられなくなっており、やはり水頭症の症状だったのだと思いました。
  

術後三日くらいは、比較的良い状態が続いていたのですが、やはり徐々に悪くなっていきました。
毎日見ていると、本当にわずかな変化ですが、昨日できていたことが次の日にはできなくなったり、少しずつ話す言葉が減っていったり…入院6、7日目には、入院前のようにぼーっとする時間が増えていました。お見舞いにきた人とは気を保って話をすることもあったのですが、私や母の前では頷くだけだったり、段々と人に会いたがらなくなりました。入院7日目に初めて嘔吐してから、さらに悪化し、歩行もできなくなり、話す声も小さくなり、尿失禁も再び出始め、頭痛を訴えるようになり、9日目からはしゃっくりが止まらなくなってしまいました。目の焦点はぶれないものの、意識状態は入院前に近づいているように感じました。
それまで、意識や記憶、思考力などに影響はあっても、頭痛や吐き気といったよくある症状はほとんどみられませんでした。CTを再度、再々度と撮っていただいても、水頭症の再発はみられず、やはり腫瘍そのもののによる病状の進行ということでした。
毎日毎日、面会に行っていましたが、後半の日々は、徐々に悪くなる父の手を握って傍で泣いてばかりいました。
  
入院後8日目に父の病状と手術について説明を受けました。病理検査の結果が一週間程度ということだったので期待していたのですが、検査結果はまだ出ていませんでした。生検時に出血が多量であったため組織片が充分に取れず、検査ができていない可能性があるとのことでした。
以前に説明を受けたように、父の腫瘍は松果体にあり、しかもかなり大きく、測定場所によっては5cmを超えます。そもそも松果体腫瘍自体がとても珍しく、その大学病院では年間150件以上脳腫瘍を摘出していますが、松果体腫瘍はそのうち10件ほどで、そのうえこれほど大きいものは年間に1件あるかどうかということでした。
松果体は脳の真ん中、奥まったところにあり、周囲には生きていく上で重要な働きを持つ脳の組織や血管が多く、脳腫瘍の摘出術の中でも非常に難しい部類だそうです。
手術に伴うリスクは、脳死や麻痺、言語障害、記憶障害から術後出血など多くありました。最悪の場合は死亡か植物状態です。
手術を受けない場合は、腫瘍の性格や経過からも、1週間や2週間など早い段階で生命の危険があるということでした。
予想されうる予後について聞きたかったのですが、病理検査の結果が出ないことには何も言えないと濁されてしまいました。さらに、国内でもあまりない症例のため、結果が出たとしても海外の症例から何年生きた人が何パーセントという数字を出すしかないとのことでした。
手術をしなければ死を待つだけであり、手術を受けるしかありません。今の意識状態は脳腫瘍のために生じているものもあるから、腫瘍を摘出できれば今よりも回復し、良くなるとおっしゃっていただいたことが一番の希望でした。

手術前日でさらに状態は落ち込み、嘔吐もあり、身体を起こすこともできなくなりました。右側に軽い麻痺がみられ、話しかけても頷く動作も弱々しく、会話もなく寝たきりになりました。手術当日もそのような状態で、そのまま手術室へと向かいました。手術は入院後12日目に予定していたのですが、あの状態では、それ以上の待機は厳しかったのではないかと思います。
  
手術当日は朝8時半から病院で待機しました。予定では18時までの手術でしたが、終わったと声をかけられたのは15時頃でした。
あまりに早く心配になったのですが、術後の説明では、腫瘍がとても柔らかかったために予想よりも時間がかからなかったとのことでした。腫瘍が柔らかいということは、できたてほやほやに近く、やはり悪性の可能性が高いのだそうです。逆に良性ではとても硬いものがあるとのことでした。
出血はしたものの、9割ほどは切除できたそうで、今よりは意識状態は回復するのではないかということ。また、術後が安定すれば何週間の危険ではなく、しばらく時間の余裕ができるため、摘出した腫瘍の病理検査を待って放射線や化学療法などの治療に移っていくとのことでした。
悪性脳腫瘍で亡くなる場合は、切除後再発した腫瘍が大きくなり、治療の手立てがなくなって亡くなるそうです。今までの経過から急速に成長する腫瘍だとは思いますが、とりあえず今すぐの危険な状態から解放されて、本当にほっとしました。
  
術後翌日に面会に行くと、ICUからNRICUに戻っており、意識もはっきりしていました。私や母の認識はするものの、日付や、病気や入院のことは一切覚えていませんでした。何度か伝えたものの、やはり10分後には忘れてしまっていて、この記憶の状態が治るかどうかは分かりません。
調べてみたところ、父のこの状態は、見当識障害や記憶障害を含む高次脳機能障害なのではないかと思いました。
術前とは見違えるほど良い状態で、1日に1度でも父からの問いかけや父の意思がみられる会話ができることは大きな喜びでした。一方で、慢性的な無反応・消極的な状態は残り、以前の活発で頼りがいのあった父の面影はどこにもありません*1
 
高次脳機能障害を患った脳腫瘍患者家族の受容の過程を調査した論文*2に、外的喪失と内的喪失についての記述がありました。物理的な喪失、つまり近親者の死、恋人との別れ、引越しなどを外的対象喪失といい、内面的なその人物の心の中だけで起こる対象喪失を内的対象喪失というそうです。脳腫瘍による高次脳機能障害によって内的対象喪失となった患者家族もまた、物理的な喪失と同様に悲嘆のプロセスをたどって、起こってしまったできごとを受容するのだそうです。
私や、私の家族もまさに今、この渦中にあるような気がします。

生命維持機能に問題はなくても、性格や記憶といった機能を障害されてしまってなお、父は生きていると言えるのでしょうか。私の中では、まだ以前の父と接することができない哀しみが大きすぎて、それでも生きていてくれて良かったと、思うことができません。
今の状態を徐々に受容して、非日常が日常へと変化していく中で、そう思える日がいつかくるのだろうし、きてほしいと思います。何より、父が回復することを祈っています。

*1:水頭症解除後は父らしさがある意識状態で、記憶も少しは残っていましたが、今はそこまで戻ってはいません。開頭術か、あるいはは腫瘍そのものによる損傷のためなのでしょうか

*2:http://ci.nii.ac.jp/naid/110008438099

脳腫瘍闘病記②入院するまで

今思えば、年始から様子が少しおかしかったようです。最初は物忘れが酷いな、という程度でした。目の状態も悪かったようで、何度も眼科に行っていましたが、原因は分からず、物忘れと相まってメガネをいくつも作っていました。
2月7日(日)までは会社に行っていたのですが(土日出勤)、それまでに言動が少しずつおかしくなったようで、8日に母が父を連れて市民病院に行きました。CTで異変が見つかり、翌日に大学病院の脳神経外科を受診し、脳腫瘍の診断を受けたようです。
ベッドが空いていないため、入院待ちで自宅待機になりました。家でじっとしていることが嫌いな父なので、仕事を休んでいる間も、買い物や母の実家に行くなど、積極的に外出していました。一人ではどこに行くのか、何をするのかが分からず何もできなかったようですが、母がいると外出したり歩き回ったりできるくらい元気だったようです。

しかし、徐々に疲れが目立ち、13日(土)には伏せって起きられないようになり、翌14日には尿失禁がみられ始めました。
私が帰宅したころには軽い応答はするものの、ソファで横になったままで動くのも辛そうでした。お風呂も一人で入れず、しまいには階段も登れなくなり、就寝する頃には終始ぼーっとした状態で、呼びかけに応答するのも3分の1くらいになってしまいました。

あまりにも急激に悪くなるので、15日(月)に病院に電話し、緊急で来院受診することに。しかし、車社会の田舎でいつも父が運転しており、タクシーを呼ぶにはあまりに病院が遠く、動けない父をどうやって病院に運べばいいのかと悩みました。
どうしても手段がなくて、父の会社の上司に連絡し、休日にも関わらず総務の方に来ていただき、父を病院まで送ってもらうことができました。父とはゴルフ仲間だったようで、病院の中まで車椅子を押していただき、帰れなくなると大変だからと診断が下るまで1日付き合っていただいて、本当に感謝してもしきれません。
入院待ちで1週間も音沙汰がなかったのはとても不安でした。もしあのまま自ら来院しなければ、父の状態はもっと危なかったと思います*1

突然の来院で前回とは違う先生に見ていただきました。結局、今もずっとその先生に見ていただいており、最初に診察していただいた先生とは顔を合したことがありません。
予約外で遠方からだったため通常の診療時間に間に合わなかったのにも関わらず、すぐに診ていただけました。診察時に尿失禁・意識状態の低下・日常生活の不可と、病状の急速な悪化を主張し、とりあえずCTを撮ることに。
そのとき父は、ほとんどぼーっとしていて、話しかけるとわずかに首を振る程度でした。今いる場所がどこかを認識できず、会社の方が話しかけたときだけ少しはっきりした言葉を返していました。もちろん歩くことはおろか立つこともできません。
お昼休みを挟み長い待ち時間の間、父の病状が進行していないでいて欲しい気持ちがある反面、このまま家に帰されても生活ができない不安とで複雑な心境でした。

CT後の診察で、先生が開口一番に「入院しましょう」と言ってくださった時、緊張の糸が切れたように一息つきました。治療を始めてもらえることに、ほっとしたのです。
父の脳腫瘍は松果体という場所にできた、5cm以上もある大きなものでした。松果体は脳の真ん中の奥まったところにあり、意識や記憶などの機能が集まっている場所だそうです。調べたところ、とても珍しく、治療の難しい場所のようでした。1週間前のMRIと比べて0.3cm程度大きくなっており、成長が早いこと、また腫瘍が大きくなったために水頭症を発症しており、このままでは危険な状態なので、その解除のために緊急で手術をすることが決まりました。

水頭症とは頭蓋内に脳脊髄液(のうせきずいえき)が過量にたまることにより、脳そのものが圧迫を受けたり頭蓋内の圧が高くなっている状態を指します*2。頭痛・吐き気・嘔吐などが主な症状ですが、父の場合は頭痛や吐き気などを訴えたことはこれまで一度もなく、ただ意識状態がどんどん低下していました。昨日はまだ軽く会話ができたのに、病院では寒いかどうか、お腹がすいたかどうかで頷いたりするくらいで、後はぼーっとしています。目はうつろで、上向き加減で焦点が合いません。たまに目を合わせても、すぐに戻ってしまいました。
そのような状態が水頭症のために生じているそうで、それを解除するために第三脳室開窓術*3と、必要であれば脳室ドレナージ*4をすること。それをしなければ1週間、2週間で命の危険があること。また同時に、生検のために腫瘍を少し切除することが説明されました。その説明を受けたのが15時、手術は16時からということで、入院の手続きや同意書、本人の準備など、打って変わったように慌ただしくなりました。
  
意識状態の低下した父は、私が帰省していることも、自分の病気もあまり理解できていないようで、手術の準備に連れられる際、とてもうろたえて心細そうにしていました。「病気の治療をしてもらうんやで」と何度言っても、伝わりません。それでも、治療をしなければこの状態から良くなることはないからと、父を送り出しました。
  
2時間くらいで手術が終わり、術後の説明を受けました。
病気そのものについては、これまでのCTの所見で、既に腫瘍内の出血がみられること、非常に進行が急速な腫瘍であること、生検のために切除しようとした際にも、染み出るような出血がみられあまり切除できなかったことから、悪性の脳腫瘍である可能性が非常に高いと告げられました。
しかし、予後も含めて、確実なことは生検の病理検査結果次第になり、まだ何も言えないそうです。水頭症の解除は開窓術のみで済んだものの、麻酔からまだ目が覚めておらず、このまま目が覚めなければ非常に危険であり、場合によれば緊急に開頭手術を行わなければならないこと、念のため覚悟をしてほしいとも言われました。
あまりに急に手術が決まり、心の準備ができないまま離れ、その術後に危険な状態だと言われてしまい、そのギャップに母と2人、大変なショックを受けました。
「ここどこ」「何するん」と術前に不安がっていた父の姿が脳裏にから離れませんでした。母と2人で泣いて、泣いて、このままもし何かあったら、病院に連れてきてしまった私の責任だと、なだめて送った私のせいで父は死ぬんだと、あのときの気持ちは忘れられません。

その後、何度呼びかけても目が覚めない父でしたが、お医者さんがきて父を少しつねったところ、父が一度目を開けました。お医者さんはすごいと心の底から思いました。意識を取り戻したことで少し安心したものの、腫瘍が大きいため開頭して取り出す手術を行うこと、それまでに検査をして準備を整えるが、容態が悪化した場合は緊急で手術を行うという方針が決まりました。
  
父は生来健康で、大病を患ったこともなく、人一倍活動的で、仕事熱心で、まだ54歳でした。週休は平日に1日しかなく、朝は早く夜は遅く、物心ついてもろくに顔を合わせた覚えがありません。それでも家庭を大事にして、人生の目標にしていた仕事を完遂させるまで、あとたった三か月でした。
なってしまった病気に対して、なぜと問うても意味のないことですが、頭では分かっていても、どうして父がそんな目に遭わなければならないのかと思わずにいられません。
脳腫瘍も、その他の癌でも、きっとそのような方は大勢いらっしゃるんだと思います。自分や父だけが特別なわけではなくても、志半ばでその道が断たれてしまうのを見るのは、なんともやりきれません。
何より、父の場合は、意識状態に影響が強く、本人が全く理解できていないのが辛いです。これは手術の終わった今でも回復しておらず、日付や場所、なぜ寝ているのか、どんな病気なのかを毎日何度言っても、5分後には忘れてしまいます。
何度も聞いて、そのたびに父は泣き、また忘れて、その繰り返しを延々と…なんとか記憶の程度が良くなってくれればと願うばかりです。
  

*1:待機せずにすぐに治療を始めてくれていれば、もっと助かった機能もあったのではないかという気持ちがないと言ったら嘘になります。でも、1回だけの診察では病気の進行速度の予測なんてできないでしょうし、仕方なかっのだと思うしかありません。

*2:http://health.goo.ne.jp/medical/10120100

*3:本来流れるはずの髄液の通り道が腫瘍で塞がれているため、別の場所に穴をあけて髄液の通り道をつくり、脳室内に髄液がたまっている状態を解除する方法

*4:ドレナージ=チューブで排液

脳腫瘍闘病記①はじめに

突然ですが、父が脳腫瘍になりました。
私が母より連絡を受けたのは2月14日(日)。病院での診断は、2月8日(月)の時点で受けていて、翌日に大学病院で精査していただいたのですが、緊急性がないと判断され、入院待ちで自宅待機していました。
しかし、14日に私が一時帰省した段階で、すでに意識状態が低く、14日朝より尿失禁もきたしていたことから、病状が急激に悪化していると判断し、15日(月)に来院受診し、即入院・手術となりました。
一時期は今日明日で危ない状態だったものの、持ち堪え、無事昨日に予定した開頭手術を終えることができました。何とか一息つけたものの、この2週間は一日一日が不安と期待の入り混じった、何が起こるか分からない、なんとも言えない時間でした。
  
医学図書館に片足を突っ込んでいた自分として、患者家族が医療情報を求める際の情報探索行動などの研究テーマも見知っていましたが、まさか自分がその事例の対象となるとはこれっぽっちも思っていませんでした。
論文は読み慣れていても、病気の顛末や、治療方針の基準など肝心な知識は何も身についていません。そんな私が救われたのは、似たような患者家族の闘病を綴ったブログでした。
脳腫瘍は腫瘍の種類も多く、臨床症状も様々で、他の悪性腫瘍と比べて、比較的個人差が激しい病気だと思います。
病理検査の結果はまだ出ておらず、お医者さんも肝心なことについて何も言及してくれない中で、似たような患者さんの一連の流れを読むことで、父が今後どうなってしまうのかをようやく頭に思い描けるようになりました。
  
ブログの闘病記が有用な理由は、病状が多様なものの個々のケースを知ることができる点と、携帯電話さえあればいつでも自由にアクセスできる点があります。
職業柄、図書館を使えれば良かったのですが、入院から今日まで約2週間休職しており、かつ毎日面会時間の最初から最後まで同席していたので、時間的な余裕が全くありませんでした。
処置や手術の待ち時間でも、ブログであれば簡単にアクセスできますし、お医者さんが言いよどむようなことも書いてあります。お医者さんは責任の問題もあり、軽々しく発言できないのでしょう、何度聞いても、病理検査の結果がまだなので予後については話をしてくれません。でも、家族としては、検査結果が良かったらこんな症例もある、悪かったらこんな症例もある、といった具体的な事例を少しでも早く知りたかった。それができたのはブログでした。
  
元々、私のブログのモチベーションは自分が困ったこと・助かったことを共有して誰か1人でも役に立てば良いなという思いです。結婚式の著作権のテーマも、そこから始まりました。
なので、自分が助けられたことへの感謝の意味も込めて、脳腫瘍の経過をまとめたいと思います。しばらくお付き合いください。


父の症状が比較的似ていると感じたブログは、こちらの方のものです。
心の準備の助けになりました。ありがとうございました。
*脳腫瘍に 負けたくない*

【著作権】ダウンロード・配信音楽が結婚式で使えない件について

※注意※この記事は法律や著作権について専門的な仕事や勉強をしていない一市民が書くものなので、内容が間違っている可能性は十二分にあります。ネット上の情報は常に疑ってかかるメディアリテラシーが十分に備わっている方のみお読みください。

    
  
前回の記事で私なりの結婚式の音楽利用について述べました。
その肝は、面倒だから複製権は侵害しない、です。
複製権の許諾をきちんととることは、個人では、手段が確立されていないからです(主に著作隣接権とISUMの運用において)。
  
最近のまとめスレで「なんでウンロード・配信音楽 は使っちゃいけないのか」という声がありましたが、その理由はこの複製権にあります。
  

専門家の見解が以下のページで紹介されていました。

配信音源の場合、購入した音源をダウンロードする行為については、2つの考え方があり得ます。(1)ライセンスに基づく複製であって、私的複製に該当しないという考えと、(2)ライセンスに基づく複製であっても、私的複製に該当するという考え方です。この問題に関しては、定説がないように思います。
...(中略)...
「私的複製ではない」という考え方であれば、購入したCDの音源を結婚式場で流すのと同じように、問題はないはずです。ただ、結婚式場側は、私的複製が介在しないかどうかや、適法にダウンロードされたものかどうかを確認するのが難しいといえます。そのため、余興の際に、公衆の面前で配信音源を流すことは控えざるを得ないと思います。


  
この見解は半分同意で、最後はちょっと違うかな、と思います。そんなことを言い出せば、公正な利用が難しいから音楽はすべて使用禁止、なんてことも結婚式場は言えちゃいますし。*1
以下は、私なりの考えです。
  
まず、購入した音源をダウンロードする行為については、それぞれの購入先との契約事項に依るので、仮にこれが「私的複製に該当しない」ケースとします*2
  
ダウンロードした時点では、複製権は侵害しておらず、私的複製にもあたりません。とすると、その時点での音源を披露宴で流すのは問題がないわけです。問題は、どうやって披露宴でその音楽を流すかということです。
    
普通、ダウンロード音楽を再生する場合は、音源をメディアに焼くか、iPodなどの再生装置のハードディスクにコピーしなければならないのではないでしょうか?
これらの行為は、すべて"複製"にあたります。
私たちが普段無意識に行っている行為は、すべて「私的複製」(著作権法49条1項1号)による権利制限があったために、許されていたわけです。
  
最初の記事で述べたように、結婚式での利用に「私的複製」は認められません。
加えて、ダウンロード・配信された音楽を、複製せずに利用することはほぼ不可能です。
以上のことから、「ダウンロード音源は結婚式では使えない」と解されてしまいます。
逆に言えば、私的複製を介せずに音源を再生できる、あるいは複製権の許諾を得ることができれば、ダウンロード音楽であっても結婚式で利用することは可能といえます*3
  
  
ちゃんとお金を払ったダウンロード音楽は結婚式に使えないのに、中古で買ったCDなら使っても問題ない。
そんなのおかしいと思うのが普通ですし、理不尽ですよね。でも、現状の著作権法の仕組みであり、そう解釈するしかありません。
ダウンロード音楽のユーザーがこの問題を認識して、おかしいという声があがれば、文化庁著作権法の関係者も動いて、法改正に向けて動くでしょう。最も簡単なのは、ライセンス条項に権利制限を記載することですが…。
  

裁判を起こすほどの労力をかけられない私たちには、知って、理解し、知らない人に教えるということが最善ですし、「教育のみが民主主義を守る」「教育のない民主主義は無意味である」というジェファーソンの言葉は、本当にそうだなと思います。そうしてブログを書いたりしていたのですが、あまり賢くない人間なので、間違っていたり、不適切なことがあるかもしれませんので、そう思って読んでいただければと思います。
   
  

*1:ちなみに、「CDを再生することは、著作権を侵害しない 」のではなく、著作権のうち演奏権を侵害するけど演奏権は許諾取ってるから大丈夫だよ、ということです。細かいことですが、このややこしい言い方が著作権の混乱を招く一因な気がします。

*2:著作権法よりも1対1の契約の決まりが優先されるので、著作権法で問題がなくとも、音楽の販売事業者が禁止していれば何もできません

*3:現状、ほぼほぼ不可能ですが

【著作権】結婚式で音楽を利用する方法~これから披露宴を挙げる方のために

著作権

※注意※この記事は法律や著作権について専門的な仕事や勉強をしていない一市民が書くものなので、内容が間違っている可能性は十二分にあります。ネット上の情報は常に疑ってかかるメディアリテラシーが十分に備わっている方のみお読みください。  

  

結婚式で音楽を利用する方法:結論

結論からいうと、結婚式で自分の好きな音楽を流したいときは、市販されているCDを購入し、披露宴中も原盤から再生すること、がベストです。
ただでさえ死ぬほど忙しい新郎新婦が、莫大な時間的・金銭的なコストを払って権利許諾を得るメリットはほとんどありません。
中古CDで揃えればコストも抑えられますし(必ずしも新品で買う必要はありません)、CDを買っとけば後から披露宴で使った音楽を懐かしんで聴くこともできます。一石二鳥です。
但し、権利許諾を得ることが不可能なわけではありません。どうしても使いたい音楽があり、そのためにはどんなコストも厭わないという方には権利許諾を得る方法にチャレンジしてみるのも良いと思います。
以下、前回の記事で不十分だった点補いつつ、理由を解説します。

※前回の記事※
humotty-21.hatenablog.com
  

演奏権と複製権

前回は、演奏権と複製権について触れました。簡単にまとめると、

  • 式場で音楽を流すこと(再生・実演含む)は演奏権にあたる。
  • 演奏権は新郎新婦ではなく式場が主体となる。たいていの式場はJASRACなど著作権管理団体と包括契約を結ぶことにより許諾を得ている。
  • (前回)問題となったのは複製権。
  • 複製権は音楽をコピーすること、演奏・再生されている音楽をメディアに記録すること(ビデオ撮影など)が含まれる。
  • 複製権は結婚式での使用に関しては権利制限が効かず、許諾を得る必要がある。

ということです。
これに対し、許諾を取ればいいじゃん!という考えを持っていたのですが、すみません、私が浅はかでした。
  
前回の記事にブクマでコメントを寄せていただいていたのですが

著作隣接権の言及がないけど、ISUMの意義はまさにその著作隣接権の処理にあると思われる。著作権複製権の処理ならJASRAC手続きは簡単すぎるし。

おっしゃる通りです。そうなんです。
音楽を複製するためには、著作権者の許諾だけではなく、著作隣接権の許諾が必要なのです。
  

著作権著作隣接権

ここでの著作権は、著作隣接権と相対する形での、著作権者が持つ権利としての著作権を指します*1
著作権法は、著作権者(その著作物を創作した人物)だけでなく、著作物を出版・流通するのに貢献したもの(著作隣接権者)にも権利を与えています。音楽CDの場合は、実演家(歌手)や、レコード会社が相当します。

  
著作隣接権は関係者ごとに持てる権利が異なっており、歌手やレコード会社もそれぞれ、著作権法上認められる権利が違います。
  
著作隣接権には演奏権がありません。
そのため、演奏権については、著作隣接権者の許諾を得る必要がないのです。
  
一方、著作隣接権者のうち、レコード会社には、複製権がみとめられています。
このため、私たちは、音楽CDを複製することの許諾を得ようとした場合、著作権だけでなく、著作隣接権の許諾を得る必要があるのです。

ここで問題となるのは、JASRACが管理しているのは著作権者の著作権(演奏権・複製権)のみであり、現状、著作隣接権の集中管理団体が存在していないということです。
  

著作隣接権の許諾を得るには~JASRACの功罪

  
日本ではJASRACのおかげで著作権の集中管理団体が批判されてばっかりですが、世界的には集中管理こそ最も良い方法だと言われていたりします。私もこのたびその理由に納得しました。
というのも、権利の許諾を個別に取るのが本当にめんどくさいし、金額も言い値だから馬鹿高かったりするし、集中管理じゃないメリットとか何があるのかな?と思ってしまったくらいです*2
  
さて、私たちがJASRAC管理の著作権の許諾を得たければ、JASRACで調べて申請すれば良いですが、著作隣接権の許諾を得ようと思った場合は、まずそのレコード会社について、権利許諾がどうなっているのかを調べなければなりません。
  

  • エイベックスの場合

当社商品の音源の利用について(著作隣接権に関して) | お問い合わせ | エイベックス・グループ・ホールディングス株式会社
結婚式での利用についてはISUMへとありますが、ISUMでは個人の申請が現状ほぼ不可能です。
なので、個人で許諾を得る場合にはどうすればよいのか、エイベックス、あるいは日本レコード協会やISUMへ問い合わせる必要であります。
  

音源使用申請
小澤征爾のレコードが出ているこちらも、結婚式の利用における許諾申請はISUMから。ISUMは個人での申請ができないので、ISUMかどちらかに相談するしかない。
なお、利用金額の目安として出ているのは一曲50,000円~
  

FAQ | Warner Music Japan
個人での利用は著作権保護のため不可能であり、”イベント、自分で作る作品にアーティストの楽曲を使用する”場合は、直接連絡を取り要相談となる。
  
  
ISUMは結婚式の利用における著作隣接権の集中管理団体となりたいのでしょう。
しかし、ISUMは個人での申請ができず、式場・制作会社などの事業者を通じてでしか申請を許可しておりません。
ISUMのウェブサイトで、ISUMと提携している事業者の一覧が出ていますが、当然のようにごくごく一部ですので、それら以外の式場で結婚式を挙げる新郎新婦の取る手段は用意されていません。
創作物の公正な利用という観点で、このような措置が問題にならないのかは疑問に思います。これでは個人での創作物の利用に関しては、権利侵害に目をつぶると言わんばかりではないでしょうか*3
  
  

まとめ

  
著作隣接権の許諾を得る手段が現状確立されておらず、非常に困難です。そのため、最も簡単に音源を利用するためには、複製権を侵害しないことが良いでしょう。
音楽CDから音楽を再生することには、複製権は関与しません。複製権の許諾を得るための道のりを思えば、ちゃちゃっとCDを買ってしまった方が圧倒的に楽です。
この場合、中古CDでも問題はありません。100円でたたき売りされているものでも良いのです。
  
しかし、一生に一度の披露宴ですので、どうしても使いたい音楽の原盤のCDが手に入らない音楽もあるでしょう。もしくは、ムービーで音楽を編集して流したいという方もいるはずです。
かかるコストを厭わないならば、権利許諾を取ることも可能ですし、そうして心を砕いて企画された披露宴はとっても素敵なものになると思います。
  
  
ただでさえ難解な著作権法の仕組みを理解することは一市民には難しく、現状、著作権を遵守して生きることはほぼ不可能だと思います。
程よいお付き合いが大事だし、何より、一番に尊重されるべきは創作物の発展のために公正な利用を促したいという著作権法の理念ではないでしょうか。

*1:著作権があまりに多義語すぎるのが著作権を理解しづらくしている一因だと思います。

*2:寡占による金額の釣り上げは良くないので、2,3の団体で良心的な相場を守って上手く運営してほしいものです

*3:その点、問題は多いものの個人での申請の手段を用意しているJASRACは、まだ良心的であるといえる側面が、もしかしたらあるのかもしれません

国立国会図書館のリサーチ・ナビで「近代日本刊行楽譜総合目録 洋楽編」が公開されました

近代日本刊行楽譜総合目録 洋楽編 | リサーチ・ナビ | 国立国会図書館

 平成27年3月24日(火)、国立国会図書館は、リサーチ・ナビのコンテンツ
として「近代日本刊行楽譜総合目録 洋楽編」のデータベースを公開しました。
 当館および全国の図書館などが所蔵する、昭和20年以前に日本国内で出版さ
れた楽譜(ただし、伝統的記譜による日本音楽以外のもの)を検索することが
でき、書誌情報約11,300件、所蔵情報約18,300件、159機関に及ぶデータを収
録しています。
 このデータベースは、平成23年5月に当館が文化庁と締結した協定(「我が
国の貴重な資料の次世代への確実な継承に関する協定」)に基づき、文化庁
委託事業において日本音楽学会が調査、作成したデータの提供を受けて公開さ
れました。


○リサーチ・ナビ > 近代日本刊行楽譜総合目録 洋楽編

  
楽譜探しの新しい方法が出てきましたね。
これまで国内の所蔵を楽譜に特化して横断的に検索することはできなかったので、アマオケ民としても嬉しい限りです。
  
キーワード検索の他に、タイトル・著作者・出版者・出版年・所蔵機関名で検索可能な詳細検索があります。
試しに伊福部昭で検索すると、

  • 七夕・演伶・佞武多 
  • 土俗的三連画
  • 日本狂詩曲
  • 盆踊り

などが出てきました。
昭和20年(1945年)までということなので、シンフォニア・タプカーラ(1954年初稿完成)などは含まれていないようです。残念。
ぜひその後のものも充実させてほしいですね!