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今日読んだ記事:子育てをしながら働くということ

 

私が仕事をすることは、様々な人に理解と協力を請い、助けていただき、迷惑をかけ、頭を下げ、感謝して頑張ることなのかと思っています。後ろめたさとの戦いでもあります。
一方、仕事を辞めれば、負担と責任と後ろめたさから一気に開放されます。きっと、私が仕事を辞めても誰からも咎められることはないでしょう。むしろ、家族にも病院にも喜ばれるかもしれません。これが、子育て中の常勤女医の現実ではないでしょうか。


仕事柄、医学関係の学術雑誌にはほぼ全て目を通す。
学術論文はさっぱりわからないので読めないが、たまにお医者さんが書くコラムや書評が面白くて読み入ることがある。冒頭の文章は「日本の眼科」という雑誌に掲載されたコラムの中から引用した。

医学界においても、女性のキャリアは課題の1つらしく、このように子育てやキャリアに関するコラムは度々掲載される。テーマが身に迫るものであることもあり、見かける度に読み、共感する。
この筆者のように、夫婦とも医者であれば世帯収入には困らないと推測できるので、働く理由に経済的要因はあまり影響しないだろう。職場だけでなく社会にも、子どもの多感な時期に母親が傍にいないことを批判する風潮がまだある。お金がないので共働きというならまだ周囲の理解も得られるかもしれないが、そうではない場合、風当たりはより強くなるのではないだろうか。
職場でも迷惑をかけ、母親としても責められる。女性が子どもを産み育て、そして自分のために働くということは、そこまで大変なことなのだろうか。

「17時にさっさと帰ってさぞかし時間があるだろう」と思われるかもしれません。私も子育てをする前はそう思っていました。
でも、子育てをやってみたら誰もそんなことは言わなくなると思います。仕事が終われば、保育園と学童保育の2ヶ所にお迎えに行き、晩御飯を作り食べさせ、宿題をみてやり、選択して、子どもをお風呂に入れてパジャマを着せて寝かしつけ、夜中も起こされ、朝は、洗濯物をたたみ、朝食を用意し、時にはお弁当を作り、子どもにご飯を食べさせ、着替えを手伝い、小学校に送り出し、保育園に連れて行くのです。週末には、掃除に一週間分の買い物、子どもの習い事の送り迎えです。誰も代わってはくれません。


私はまだ子どももいないしまだ結婚もしていないが、働き続けることを希望する限り、いつかきっと同じ思いをするときがくる。得てして、人はそのときが来るまで物事を真剣に捉えられないものだ。なんとかなるんじゃないかと甘える気持ちが、確かに自分にもある。
このように字面で示されると、その苦労が現実のものとして見えてくるが、今ですら働いて家に帰り、自分の面倒を見るだけで手一杯で、到底、できる気がしない。

そこまでして、なぜ働くのだろうか。働きたいと思うのだろうか。

そんな私が、仕事を辞めずにいるのは、周囲の理解と協力に支えられ、自分が仕事を続ける理由を確認し、『その先に』あるものを探しているからかもしれません。
辞めたくなった時は、医師を目指して勉強したこと、自分を育ててくれた恩師のこと、初めて患者さんから感謝された感動を思い出し、職責の重さを再認識し気持ちを切り替えるようにしています。そして、続けるためにもう一つ大切なことは、子育て中でも医師として成長することをあきらめないことではないかと思います。お手伝い的な仕事では、やりがいを感じられないこともあるでしょう。自分自身から、責任が負えないからといって、できることにどんどんと予防線を張って後退していってしまうこともあるでしょう。それは、仕事を続けるモチベーションを低下させます。専門医を取ったら、次の目標がなくなり辞めてしまうかもしれません。
しかし、子育てを理由に医師としての成長を阻害されてはなりませんし、努力を放棄してもいけません。

  
もし子どもを産むことがあれば、私も、働き続けたいと考えている。その苦労は想像を絶するが、それでもやはり、これまで学び、少しずつ成長してきて、それを止めたくないのだ。幸い、図書館の業界には子どもを育てつつ働き続けてきた先輩方がたくさんいてとても心強いし、図書館だけでなく、医者でも、その他の職業でも、働き続ける女性はこれから益々増えていくだろう。働くことができるというだけでなく、どのように働けるか、自分の能力を伸ばしていけるかというところが大事なんだと気づいた。
もちろん経済的にも身体的にも自分の望むようにならないことは多々あるだろうが、それでもその都度前を向いていけたらいいなと思う。


田中(福地)文香. "常勤子育て女医『前例を作る・そして、その先へ』". 日本の眼科. Vol.85(1), 2014, p.38-39.