間宮不二雄の「圕とわが人生」と偉人の人となり

休日に間宮不二雄の「圕とわが人生」を読んでました。
いやーすごいなあ、他人の評伝からも自筆の論文からも、そのエネルギッシュさがよく分かります。
  
元々、薬学図書館協議会を興した伊藤四十二(東大薬学教授)に図書館学を指導した村上清造の足跡を辿っていました。
富山の薬商の長男で富山薬専を首席で卒業するくらい優秀だった村上ですが、就職で”思うようにいかず”、伝手をたどって富山薬専の図書室に生徒の相談役として勤務することになりました。
彼の境遇を察し個人の研究室を用意して図書と兼務にする話もありましたが、”「二兎追うものは一兎も得ず」との思いから”、や”仕事をやるなら、多くの人が望む方向より人のやらないものを選んだほうがよい”という彼の信念の元、図書館の人となります。
その後、村上は独自に図書館の勉強を始めるのですが、就職翌年に青年図書館員連盟に入会、翌々年に大阪で図書分類法の講習を受けたことが人生の大きな転機となります。
大阪で間宮不二雄始め、森清加藤宗厚青年図書館員連盟のメンバーと交友を深め、村上曰く"間宮塾"に通い、頻繁に下宿したことが、村上の図書館学への傾倒に拍車をかけたことは間違いありません。
ご存知の通り間宮不二雄はNDCだけでなくNCR,NSHを世に出した人でありますが、彼がいなければ薬学図書館協議会もなかったのかと思うと非常に偉大な人だなと改めて思った次第です。
  
村上は間宮を"生涯の師"と慕っており、また間宮も図書館に対し熱血漢な村上を評価していたようでした。
間宮は戦災で消失した後に収集した間宮文庫の寄贈先を村上のいる富山県立図書館にしていますし、間宮が亡くなった当日も村上が訪問する予定で、奇しくも間宮没後最初の来訪者が村上であったことが「圕とわが人生・後期」にある間宮氏孫の手記で綴られています。
  
自伝や評伝関係を読んでいて、それまで事実でしか知らなかった人の人となりが垣間見えるのはとても面白いですね。
間宮不二雄は万年蒸気機関車と評されるように非常にエネルギッシュで、その情熱を生涯図書館の発展に注いだようでした。熱血漢で話に熱く、"間宮ファン"が全国にいたといいます。間宮商店を退職した森清が転職先の採用でもめた時も鳥取県庁に出向いて説得し、かつ給金の足りない分を間宮商店から給付するほどの面倒見の良さでした。多くの人に好かれ、愛された様子がよく分かります。
森清(もり・きよし)をその名たらしめたNDCも、元々森が趣味で作っていたものを間宮が無理に言って出版させたものでした。間宮に対し森は兄妹の死のノイローゼで間宮商店を退職し、間宮の伝手で職を転々としながら中国で終戦を迎え、疎開先の家族が飢えていたときに麻雀や映画を楽しんでいたという繊細だけれども飄々とした方でした。ここだけ抜粋すると鬼畜ですが(笑)人離れした熱血漢であった間宮に対し、非常に人間らしい方の印象を受けました。彼は晩年国立国会図書館に勤務しますが、恐らく生涯に渡って、活動家というよりも図書の分類をしていられれば幸せというタイプだったのかなと思います。
「図書館評伝」での記述は、間宮が生涯商人であったのに対し、森清は(どんな態度であれ)図書館員になったとして、図書館員として彼を評価するような調子で書かれていました。しかし、森清森清たるところはNDCを作ったところと再三言われており、そのNDCは間宮不二雄がいなければ成されなかったことも事実です。図書館界という言葉を図書館員以外を排斥するようなニュアンスで使うのは好きではありません。
そんな間宮も戦災で全て失い、戦後は意気消沈してか北海道に隠遁してしまいました。間宮が残って活動を続けていれば、今の図書館を取り巻く環境も少し変わっていたのかもしれないなと思います。
  
ところで間宮不二雄の人となりを読めば読むほど、なんか見たことあるなこういう人、という気持ちになります。魅力的な話をする人はその分アンチも多いので、間宮が好きではない人がいるのもよくわかりました。
  

よんだ本

間宮不二雄. 圕とわが生涯・前期. 間宮不二雄, 1969, 221p.
間宮不二雄. 圕とわが生涯・後期. 不二会, 1971, 216p.
村上清造. 図書館と共に半生紀. 富山県図書館協会, 1981, 142p.
日本図書館文化史研究会 編. 図書館人物伝:図書館を育てた20人の功績と生涯. 日外アソシエーツ, 2007, 457p.

  
  
ちなみに、春先の結婚式に向けて打ち合わせが増加しているのか、日に日に著作権記事へのアクセスが増加していて気が気じゃありません。間違ってないかと怖くて。。読まれた方の準備が上手くいきますように。