脳腫瘍闘病記②入院するまで

今思えば、年始から様子が少しおかしかったようです。最初は物忘れが酷いな、という程度でした。目の状態も悪かったようで、何度も眼科に行っていましたが、原因は分からず、物忘れと相まってメガネをいくつも作っていました。
2月7日(日)までは会社に行っていたのですが(土日出勤)、それまでに言動が少しずつおかしくなったようで、8日に母が父を連れて市民病院に行きました。CTで異変が見つかり、翌日に大学病院の脳神経外科を受診し、脳腫瘍の診断を受けたようです。
ベッドが空いていないため、入院待ちで自宅待機になりました。家でじっとしていることが嫌いな父なので、仕事を休んでいる間も、買い物や母の実家に行くなど、積極的に外出していました。一人ではどこに行くのか、何をするのかが分からず何もできなかったようですが、母がいると外出したり歩き回ったりできるくらい元気だったようです。

しかし、徐々に疲れが目立ち、13日(土)には伏せって起きられないようになり、翌14日には尿失禁がみられ始めました。
私が帰宅したころには軽い応答はするものの、ソファで横になったままで動くのも辛そうでした。お風呂も一人で入れず、しまいには階段も登れなくなり、就寝する頃には終始ぼーっとした状態で、呼びかけに応答するのも3分の1くらいになってしまいました。

あまりにも急激に悪くなるので、15日(月)に病院に電話し、緊急で来院受診することに。しかし、車社会の田舎でいつも父が運転しており、タクシーを呼ぶにはあまりに病院が遠く、動けない父をどうやって病院に運べばいいのかと悩みました。
どうしても手段がなくて、父の会社の上司に連絡し、休日にも関わらず総務の方に来ていただき、父を病院まで送ってもらうことができました。父とはゴルフ仲間だったようで、病院の中まで車椅子を押していただき、帰れなくなると大変だからと診断が下るまで1日付き合っていただいて、本当に感謝してもしきれません。
入院待ちで1週間も音沙汰がなかったのはとても不安でした。もしあのまま自ら来院しなければ、父の状態はもっと危なかったと思います*1

突然の来院で前回とは違う先生に見ていただきました。結局、今もずっとその先生に見ていただいており、最初に診察していただいた先生とは顔を合したことがありません。
予約外で遠方からだったため通常の診療時間に間に合わなかったのにも関わらず、すぐに診ていただけました。診察時に尿失禁・意識状態の低下・日常生活の不可と、病状の急速な悪化を主張し、とりあえずCTを撮ることに。
そのとき父は、ほとんどぼーっとしていて、話しかけるとわずかに首を振る程度でした。今いる場所がどこかを認識できず、会社の方が話しかけたときだけ少しはっきりした言葉を返していました。もちろん歩くことはおろか立つこともできません。
お昼休みを挟み長い待ち時間の間、父の病状が進行していないでいて欲しい気持ちがある反面、このまま家に帰されても生活ができない不安とで複雑な心境でした。

CT後の診察で、先生が開口一番に「入院しましょう」と言ってくださった時、緊張の糸が切れたように一息つきました。治療を始めてもらえることに、ほっとしたのです。
父の脳腫瘍は松果体という場所にできた、5cm以上もある大きなものでした。松果体は脳の真ん中の奥まったところにあり、意識や記憶などの機能が集まっている場所だそうです。調べたところ、とても珍しく、治療の難しい場所のようでした。1週間前のMRIと比べて0.3cm程度大きくなっており、成長が早いこと、また腫瘍が大きくなったために水頭症を発症しており、このままでは危険な状態なので、その解除のために緊急で手術をすることが決まりました。

水頭症とは頭蓋内に脳脊髄液(のうせきずいえき)が過量にたまることにより、脳そのものが圧迫を受けたり頭蓋内の圧が高くなっている状態を指します*2。頭痛・吐き気・嘔吐などが主な症状ですが、父の場合は頭痛や吐き気などを訴えたことはこれまで一度もなく、ただ意識状態がどんどん低下していました。昨日はまだ軽く会話ができたのに、病院では寒いかどうか、お腹がすいたかどうかで頷いたりするくらいで、後はぼーっとしています。目はうつろで、上向き加減で焦点が合いません。たまに目を合わせても、すぐに戻ってしまいました。
そのような状態が水頭症のために生じているそうで、それを解除するために第三脳室開窓術*3と、必要であれば脳室ドレナージ*4をすること。それをしなければ1週間、2週間で命の危険があること。また同時に、生検のために腫瘍を少し切除することが説明されました。その説明を受けたのが15時、手術は16時からということで、入院の手続きや同意書、本人の準備など、打って変わったように慌ただしくなりました。
  
意識状態の低下した父は、私が帰省していることも、自分の病気もあまり理解できていないようで、手術の準備に連れられる際、とてもうろたえて心細そうにしていました。「病気の治療をしてもらうんやで」と何度言っても、伝わりません。それでも、治療をしなければこの状態から良くなることはないからと、父を送り出しました。
  
2時間くらいで手術が終わり、術後の説明を受けました。
病気そのものについては、これまでのCTの所見で、既に腫瘍内の出血がみられること、非常に進行が急速な腫瘍であること、生検のために切除しようとした際にも、染み出るような出血がみられあまり切除できなかったことから、悪性の脳腫瘍である可能性が非常に高いと告げられました。
しかし、予後も含めて、確実なことは生検の病理検査結果次第になり、まだ何も言えないそうです。水頭症の解除は開窓術のみで済んだものの、麻酔からまだ目が覚めておらず、このまま目が覚めなければ非常に危険であり、場合によれば緊急に開頭手術を行わなければならないこと、念のため覚悟をしてほしいとも言われました。
あまりに急に手術が決まり、心の準備ができないまま離れ、その術後に危険な状態だと言われてしまい、そのギャップに母と2人、大変なショックを受けました。
「ここどこ」「何するん」と術前に不安がっていた父の姿が脳裏にから離れませんでした。母と2人で泣いて、泣いて、このままもし何かあったら、病院に連れてきてしまった私の責任だと、なだめて送った私のせいで父は死ぬんだと、あのときの気持ちは忘れられません。

その後、何度呼びかけても目が覚めない父でしたが、お医者さんがきて父を少しつねったところ、父が一度目を開けました。お医者さんはすごいと心の底から思いました。意識を取り戻したことで少し安心したものの、腫瘍が大きいため開頭して取り出す手術を行うこと、それまでに検査をして準備を整えるが、容態が悪化した場合は緊急で手術を行うという方針が決まりました。
  
父は生来健康で、大病を患ったこともなく、人一倍活動的で、仕事熱心で、まだ54歳でした。週休は平日に1日しかなく、朝は早く夜は遅く、物心ついてもろくに顔を合わせた覚えがありません。それでも家庭を大事にして、人生の目標にしていた仕事を完遂させるまで、あとたった三か月でした。
なってしまった病気に対して、なぜと問うても意味のないことですが、頭では分かっていても、どうして父がそんな目に遭わなければならないのかと思わずにいられません。
脳腫瘍も、その他の癌でも、きっとそのような方は大勢いらっしゃるんだと思います。自分や父だけが特別なわけではなくても、志半ばでその道が断たれてしまうのを見るのは、なんともやりきれません。
何より、父の場合は、意識状態に影響が強く、本人が全く理解できていないのが辛いです。これは手術の終わった今でも回復しておらず、日付や場所、なぜ寝ているのか、どんな病気なのかを毎日何度言っても、5分後には忘れてしまいます。
何度も聞いて、そのたびに父は泣き、また忘れて、その繰り返しを延々と…なんとか記憶の程度が良くなってくれればと願うばかりです。
  

*1:待機せずにすぐに治療を始めてくれていれば、もっと助かった機能もあったのではないかという気持ちがないと言ったら嘘になります。でも、1回だけの診察では病気の進行速度の予測なんてできないでしょうし、仕方なかっのだと思うしかありません。

*2:http://health.goo.ne.jp/medical/10120100

*3:本来流れるはずの髄液の通り道が腫瘍で塞がれているため、別の場所に穴をあけて髄液の通り道をつくり、脳室内に髄液がたまっている状態を解除する方法

*4:ドレナージ=チューブで排液