脳腫瘍闘病記③入院中~手術

私は東京で仕事をしていましたが、実家は大阪で、通うことができません。父の容態が予断を許さず、手術まで保つかどうかの可能性もあり、あまりに突然のことだったので、会社にお話ししてしばらくお休みをいただくことになりました。
結果的に約2週間も突然休んでしまい、本当に心から申し訳なくお詫びの気持ちでいっぱいで、それでも送り出してくれた先輩や後輩、上司には感謝してもしきれません。
  
ということで、入院からしばらくは毎日付き添うことができました。家族であっても面会時間のみしか会えず、泊まり込みもできないという厳しい病院でしたが、患者家族の疲弊を思うと結果的には良かった気がします。  
術後翌日に病室を訪れると、術前よりも明らかに父の意識状態は回復していました。はっきりと目も合わせられるし、「おう」と元気よく挨拶もします。帰省後初めて、まともな父を見ました。もう二度と会えないかと思っていた父でした。
昨日の絶望を知っている母と私の気持ちをよそに、父は大阪人の性分を忘れられず、わざと母と私を間違えて呼んだり、左手の人差し指に嵌められた機械で「E.T.~」とかやってきます。あほです。
会社の人がお見舞いに来てくださっても、社長さんに「何か欲しいもんないんか」と聞かれるて、ないな~と言いつつ、「あ、1つありましたわ」「給料上げてください」と冗談をかましていました。
術前からは想像がつかない状態に、脳腫瘍は治るんだと、改めて医学、お医者さんはすごいなあと感動しました。人生に2週目があれば医者になりたいとまで思いました。
最初は車椅子で動いていましたが、調子が良いときは歩行器を使って歩く練習もし、トイレも歩行器で行けるようになりました。尿失禁は術後にはみられなくなっており、やはり水頭症の症状だったのだと思いました。
  

術後三日くらいは、比較的良い状態が続いていたのですが、やはり徐々に悪くなっていきました。
毎日見ていると、本当にわずかな変化ですが、昨日できていたことが次の日にはできなくなったり、少しずつ話す言葉が減っていったり…入院6、7日目には、入院前のようにぼーっとする時間が増えていました。お見舞いにきた人とは気を保って話をすることもあったのですが、私や母の前では頷くだけだったり、段々と人に会いたがらなくなりました。入院7日目に初めて嘔吐してから、さらに悪化し、歩行もできなくなり、話す声も小さくなり、尿失禁も再び出始め、頭痛を訴えるようになり、9日目からはしゃっくりが止まらなくなってしまいました。目の焦点はぶれないものの、意識状態は入院前に近づいているように感じました。
それまで、意識や記憶、思考力などに影響はあっても、頭痛や吐き気といったよくある症状はほとんどみられませんでした。CTを再度、再々度と撮っていただいても、水頭症の再発はみられず、やはり腫瘍そのもののによる病状の進行ということでした。
毎日毎日、面会に行っていましたが、後半の日々は、徐々に悪くなる父の手を握って傍で泣いてばかりいました。
  
入院後8日目に父の病状と手術について説明を受けました。病理検査の結果が一週間程度ということだったので期待していたのですが、検査結果はまだ出ていませんでした。生検時に出血が多量であったため組織片が充分に取れず、検査ができていない可能性があるとのことでした。
以前に説明を受けたように、父の腫瘍は松果体にあり、しかもかなり大きく、測定場所によっては5cmを超えます。そもそも松果体腫瘍自体がとても珍しく、その大学病院では年間150件以上脳腫瘍を摘出していますが、松果体腫瘍はそのうち10件ほどで、そのうえこれほど大きいものは年間に1件あるかどうかということでした。
松果体は脳の真ん中、奥まったところにあり、周囲には生きていく上で重要な働きを持つ脳の組織や血管が多く、脳腫瘍の摘出術の中でも非常に難しい部類だそうです。
手術に伴うリスクは、脳死や麻痺、言語障害、記憶障害から術後出血など多くありました。最悪の場合は死亡か植物状態です。
手術を受けない場合は、腫瘍の性格や経過からも、1週間や2週間など早い段階で生命の危険があるということでした。
予想されうる予後について聞きたかったのですが、病理検査の結果が出ないことには何も言えないと濁されてしまいました。さらに、国内でもあまりない症例のため、結果が出たとしても海外の症例から何年生きた人が何パーセントという数字を出すしかないとのことでした。
手術をしなければ死を待つだけであり、手術を受けるしかありません。今の意識状態は脳腫瘍のために生じているものもあるから、腫瘍を摘出できれば今よりも回復し、良くなるとおっしゃっていただいたことが一番の希望でした。

手術前日でさらに状態は落ち込み、嘔吐もあり、身体を起こすこともできなくなりました。右側に軽い麻痺がみられ、話しかけても頷く動作も弱々しく、会話もなく寝たきりになりました。手術当日もそのような状態で、そのまま手術室へと向かいました。手術は入院後12日目に予定していたのですが、あの状態では、それ以上の待機は厳しかったのではないかと思います。
  
手術当日は朝8時半から病院で待機しました。予定では18時までの手術でしたが、終わったと声をかけられたのは15時頃でした。
あまりに早く心配になったのですが、術後の説明では、腫瘍がとても柔らかかったために予想よりも時間がかからなかったとのことでした。腫瘍が柔らかいということは、できたてほやほやに近く、やはり悪性の可能性が高いのだそうです。逆に良性ではとても硬いものがあるとのことでした。
出血はしたものの、9割ほどは切除できたそうで、今よりは意識状態は回復するのではないかということ。また、術後が安定すれば何週間の危険ではなく、しばらく時間の余裕ができるため、摘出した腫瘍の病理検査を待って放射線や化学療法などの治療に移っていくとのことでした。
悪性脳腫瘍で亡くなる場合は、切除後再発した腫瘍が大きくなり、治療の手立てがなくなって亡くなるそうです。今までの経過から急速に成長する腫瘍だとは思いますが、とりあえず今すぐの危険な状態から解放されて、本当にほっとしました。
  
術後翌日に面会に行くと、ICUからNRICUに戻っており、意識もはっきりしていました。私や母の認識はするものの、日付や、病気や入院のことは一切覚えていませんでした。何度か伝えたものの、やはり10分後には忘れてしまっていて、この記憶の状態が治るかどうかは分かりません。
調べてみたところ、父のこの状態は、見当識障害や記憶障害を含む高次脳機能障害なのではないかと思いました。
術前とは見違えるほど良い状態で、1日に1度でも父からの問いかけや父の意思がみられる会話ができることは大きな喜びでした。一方で、慢性的な無反応・消極的な状態は残り、以前の活発で頼りがいのあった父の面影はどこにもありません*1
 
高次脳機能障害を患った脳腫瘍患者家族の受容の過程を調査した論文*2に、外的喪失と内的喪失についての記述がありました。物理的な喪失、つまり近親者の死、恋人との別れ、引越しなどを外的対象喪失といい、内面的なその人物の心の中だけで起こる対象喪失を内的対象喪失というそうです。脳腫瘍による高次脳機能障害によって内的対象喪失となった患者家族もまた、物理的な喪失と同様に悲嘆のプロセスをたどって、起こってしまったできごとを受容するのだそうです。
私や、私の家族もまさに今、この渦中にあるような気がします。

生命維持機能に問題はなくても、性格や記憶といった機能を障害されてしまってなお、父は生きていると言えるのでしょうか。私の中では、まだ以前の父と接することができない哀しみが大きすぎて、それでも生きていてくれて良かったと、思うことができません。
今の状態を徐々に受容して、非日常が日常へと変化していく中で、そう思える日がいつかくるのだろうし、きてほしいと思います。何より、父が回復することを祈っています。

*1:水頭症解除後は父らしさがある意識状態で、記憶も少しは残っていましたが、今はそこまで戻ってはいません。開頭術か、あるいはは腫瘍そのものによる損傷のためなのでしょうか

*2:http://ci.nii.ac.jp/naid/110008438099