速水 融『日本を襲ったスペイン・インフルエンザ―人類とウイルスの第一次世界戦争』(2006)
読了。
歴史人口学的観点から1918-20年に日本を襲ったスペイン・インフルエンザ(スペイン風邪、現在のインフルエンザA型)について詳細に記述した唯一の研究書。
当時の統計書や地方新聞を収集し、その数値や記載をまとめている。
スペイン・インフルエンザの襲来は日本に多大な被害(2400万人が感染し、約45万人(超過死亡率を元にした著者推計)が死亡した)をもたらしたが、スペイン・インフルエンザについての他書籍における記言及はほとんどなく、歴史的にも、人々の間からも忘れ去られている。
その理由としては、スペイン・インフルエンザよりも第一次世界大戦や大正デモクラシーなどその他のことに人々の関心が高かったこと、直後に関東大震災(死亡者数そのものは10万人とスペイン・インフルエンザよりも少なかったが、景観が一変し記憶に残りやすかった)が生じていること、感染率は高かったものの死亡率は決して高いとはいえず(2~0.8%)、一時的なものだったことなどが挙げられている。
惜しいことに、著者の速水氏は2019年に没しており、今回の新型コロナをみることはなかった。のちの今日編著者に今日日の有名人である岡田晴恵氏がいるが、もし健在であられれば、新型コロナウイルス対策*1についてメディアに登場してくださっていたのではないかと思う。
本書の後半は各種統計資料の細かな分析や数値の検討に充てられ、前半の新聞からの情報にて当時の社会情勢を知ることができる。
スペイン・インフルエンザが蔓延した際も、電話(当時は交換手が必要だった)や新聞などの社会インフラの機能が低下し、学校は軒並み休校となり、病院は機能麻痺し医療従事者は感染症に倒れ、そして火葬場はパンクした。
これらは現在の新型コロナウイルス騒動で世界のどこかしらで見られる光景と全く同じではないか。
私たちはかつてないものといて新型コロナに対峙しがちだが、それは既に歴史上にみられた事象であったということである。
スペイン・インフルエンザと新型コロナの大きな違いとして、死亡しやすい年代が挙げられる。
新型コロナは60歳以上の高齢者が高リスクであるといわれているが、スペイン・インフルエンザは20~30歳代の働き盛りであった壮年の男女が最も死亡率が高かった(そのため、第一次世界大戦の近くにあった当時、軍隊内は最も流行した場所のひとつであり、戦況にも影響を与えた)。
この違いはウイルスの病原の違いなのか、あるいは当時の社会的風習か何かが影響を与えているのだろうか。
また、スペイン・インフルエンザには「前触れ」「前流行」「後流行」の3回の流行が起こっており、「前触れ」や「前流行」で感染し免疫を得ていればその後に感染することはなかったという。それらで感染しなかった者が「後流行」で罹患することとなったが、流行の合間でウイルスが変異しており、この「後流行」は最も死亡率が高く悪性であった。
罹っておけば助かったかもしれないのに、運よく「前触れ」「前流行」で感染を免れたからこそ、「後流行」で死亡した者が多くいた。
万が一、もしこれと同じウイルス変異が起きれば、現在の新型コロナを予防したがためにほとんどの者が免疫を持たない日本の惨状は予想だにしないものとなるだろう。
第一波の感染を食い止め、他国よりも感染者・死者ともに桁違いなほど少ないと安堵している現在の私たちを嘲笑うことになりかねない。
恐ろしいが、そうならないようにするにはもはや祈ることしかできない。
望みがあるとすれば、新型コロナはその原因となるウイルスが既に解明されていることである。
スペイン・インフルエンザは当時原因不明の流行性感冒であり、効果的な予防策もウイルスというものの概念もわかっていなかった。インフルエンザウイルスが特定されたのは電子顕微鏡が開発されたのちの1970年代のことである。
ウイルス特定からワクチン・治療薬の開発にかかる年数はそう長くはなく、数年待てば沈静化するだろうと思う。ただし、今日明日でこれまでの生活に戻すことは不可能だ。
スペイン・インフルエンザが3回の流行のみで沈静化した理由として、ほとんどの人間がそれに罹って免疫を得てしまったからではないか、という仮説を考える。
もしそうであれば、逆説的に、新型コロナは予防し続ける限りその流行は起こり得るということにならないか?
感染拡大を封じ込めるという選択肢をとる限り、ワクチンが開発されるまで、この新しい生活様式を続ける必要が生じてくるのではないか。ひとたび感染が生じたらすぐにまた自粛生活に逆戻りしながら。
とはいえ、私たちはもう過去のように、ただ無防備に感染症に罹患するという選択肢をとることはできない。
発達した高度医療に慣れ、死亡率は低く、対して出生率も低い今、軽々しく罹って大量の死亡者を出してしまえばあっというまに社会が崩壊してしまう。戦前は「成長する前に死ぬかもしれない」と一家庭における子どもの数も多かったが、現在は1人ないし2人がほとんどで、特別な不幸がない限りほぼ全ての子どもが元気に大きくなると信じられている。
であれば、なるべく罹らないように、死なないようにの対策をとるしかない。
たとえ感染しても病院で治療を受けられるのであればそこまで死亡率は上がらない。
そのため、現在の新型コロナ対策も、医療機能の崩壊を防ぐために取られているのである。
様々な点が異なる新型コロナウイルスに対して、だからこう、と断言することはできないが、歴史に学ぶという観点からはスペイン・インフルエンザは知っておくべき事象であり、そのためには必要不可欠な1冊である*2。